
忘れもしない、25年前の高校の合格発表当日。
僕は高校の合格発表で金沢泉丘高校にいた。
金沢泉丘高校とは、石川県の公立高校の中でNo1の学校である。
校舎も比較的新しく、中学生の僕としては何より制服が格好良かった。
そう当時では珍しいブレザーだったのだ。
その当時はブレザーの学校はまだ2校しかなく、学力No1の学生としてのステータスだった。
9月の高校の体験入学で、僕は金沢泉丘高校へ行った。
理科の実験では、スピーカーを作成していた。
電気信号と磁石これで音が出せる。
中学生の僕としてはなんてすばらしいことを教えてくれるのだ、
ここで学びたいという意欲が高まった。
そして何よりこの金沢泉丘高校へ行かなくてはいけない最大の理由として兄の存在があった。
兄は僕の2歳年上。
そう金沢泉丘高校へ通っていたのである。
負けたくない気持ちが強かった。
いつも2歳年上ということで知っている知識を自慢していた。
見返したかった。
そういうこともあって、僕はこの金沢泉丘高校へ受験をしたのである。
当時僕の通っていた河北台中学校から、金沢泉丘高校へ9人受験した。
僕は河北台中で5位前後をうろうろしていた。
僕は漠然と高校入試は大丈夫だろうと思っていた。
担任の先生も面談の時も、心配する様子もなく「大丈夫だろう」ということで淡々としていた。
今考えてみれば、「普通」に受験すれば90%合格である。
結果当日、その当時はまだ個人情報というわずらわしい概念はなく
合否は名前で張り出されていた。
クラスと出席番号順なので4組の僕は9人の中では6番目だった。
上から友達の名前がすべてあった。
自分の名前を探した・・・。
しかし自分の名前はそこになかった。
友達8人の名前はすべてあるのに、僕の名前だけなかった。
何回見てもそこには僕の名前だけ飛ばされていた。
「うそだろ?」と思う気持ちと「やっぱりか」という気持ちだった。
そう受験当日一番自信を持っていた数学が力を出し切れずに、普段より出来が悪かった。
そのこともあって、少し覚悟した面はあったが現実のものとなったときはさすがに愕然とした。
どこかに期待する気持ちがあったことは間違いなかった。
僕はその帰り道父親が運転する車に乗っていたが、
今でも父がかけてくれた言葉を覚えている。
「高校でがんばって大学受験で巻き返そう。」
僕の人生の中で父親からかけてもらった言葉で
よい記憶として残っているのは2つだけだが、その1つがこれだった。
車の中で黙っているので、何とか声をかけようとしたのだろう。
思っていることをいわれただけだが、心に残った。
他に何を車の中で話したのか記憶にない。
家に帰ると母親が結果を心待ちにしていた。
実家は小さな商店を営んでおり、
僕たちが帰った時、母親は1階の商店から聞いてきた。
「どうだった合格だった?」
僕は一言「落ちた」
「うそでしょ?」と母親は言ったきりその後の言葉はなかった。
その後僕は一人で布団の中に入り悔しくて泣いた。
自分のふがいなさに悔しかった。
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